1989(中華民国78)年「 教師節」の日、100対の綺麗な格好をしたカップルは中正紀念堂前の広場で行われた「
無屋佳遇」結婚式に参加しました。若い花嫁の笑顔は非常に心地よいものでしたが、人々の視線やカメラの焦点は一対の50歳を過ぎた、白髪混じりの夫婦に集まっていました。このウェディングドレスを身に付けた女性は車椅子に座り、夫と娘に引かれてゆっくりと登場してきました。
台湾社会の価値観が急速に変化する時代にあって、彼らは一対の平凡な夫婦でした。士官長の身分を退いた崔長英は以前国民党政府に付き従って台湾に至り、その後台湾で家庭を築き、台湾女性(陳水金:後の崔媽媽)を妻として娶りました。彼らは桃園県で温かい家庭を築き、娘に専門学校教育を受けさせる程にまで育て上げました。
1989年6月、家屋が高騰し部屋が買えない人々が抗議を開始した後、崔家の次女崔梅蘭は友人に導かれるままに、「
無住屋者団結組織」のボランティアクラブに加入し、 カタツムリ族の様々な企画に積極的に参与しました。彼女の行動は両親の絶大な支持を受けました。
崔家の夫婦はより高い教育受ける機会の無かったため、カタツムリ族の主張の内容に関してもまったく理解していませんでした。彼らが理解していたこと、それは生活する部屋があるということは良いことだ、ということだけでした。新婚夫婦は何年か一生懸命に働いて部屋を購入しようとします。しかしながら、その娘の教育程度は割合高かったので、その意見は彼らに尊重されました。これにより、崔媽媽の娘である崔梅蘭は母親に「無住屋者団結組織」が「教師節」の日、中正紀念堂前の広場で街頭結婚式を行い、部屋の値段の高騰に抗議した時、彼女の両親も喜んで参加すると答えました。
実はその時、崔媽媽は末期肺ガンを患っていました。彼女は家族や主治医を説得して、痛み止めの注射を打ち、病気に耐えながら、ウェディングドレスを身に付け、街頭での結婚式に参加しました。それは夫に永遠の愛情を表すため、そして娘の信念に対する支持を肯定するためでもあったのです。
保守的な考え方の人から見れば、女性は一生に一度だけウェディングドレスを身に付けるものでありましょう。崔媽媽はこの時、余命いくばくも無いことを自覚していました。そして再度ウェディングドレスを身に付けました。それは他でもなく「生まれ変わっても現在の夫である崔長英に嫁ぐ」という心の声を表したものだったのです。婚礼の最終段階になって、人々は「
恋曲1990」を歌い祝福し、小雨が落ちてきた時、崔媽媽は雨に濡れた額に満足げな微笑みを浮かべたのでありました。
その三日後、彼女は世を去りました。
そのような毅然とした一人の母親に敬意を表して、カタツムリ族のボランティアは崔家の同意を得て、当時成立した借家サービスセンターを「崔媽媽服務中心」と命名しました。崔媽媽基金会は社会改革の必要性を確認し、社会精神を、助けを必要とする人々に伝播させることにも関心があります
崔媽媽基金會 連絡の方法
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